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マルティネス, マリアン 1744-1812 Martinez, Marianne

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  • 解説:宮崎 貴子 (1268文字)

  • 更新日:2018年3月12日
  • オーストリアの作曲家、鍵盤楽器奏者、歌手。マリア・テレジア統治下のウィーンに生まれ、同地で活躍。父はスペイン家系出身の元軍人で、除隊後はオーストリア国家の宗教儀式を執りしきる最高責任者を務めた。 マリアンネは貴族の女性という立場上公職にこそ就くことはなかったが、当時の名だたる大家たちは彼女の作品、演奏、知性と人間性に惜しみない賛辞を送っている。多くの声楽曲、教会音楽と並んで鍵盤楽器作品を書きその総数は200曲以上にのぼるようだが、現存するものは3分の1ほどである。 マリアンネは大変恵まれた幼少期を過ごしたようだ。一家が住んでいた大ミヒャエラーハウスは5階建てで今もウィーンのコールマルクトに建っているが、当時は各階が社会階層によって住み分けられた集合住宅だった。1階全フロアはエステルハージ侯爵夫人が占め、中階は文化人や上中流階級者、上階は商人や職業音楽家にあてられた。マルティネス一家は3階、他には宮廷詩人メタスタージオや作曲家で声楽教師として名声を誇ったポルポラ、最上階の小さな部屋にはまだ無名のハイドンも住んでいた(現在は1階が土産物店、上中階はオフィスや住居として使われており、外壁には「ハイドンが住んでいた」のプレートが掲げられている)。特にメタスタージオは一家と大変親しく、マリアンネの教育に心を砕き、その後の人生においても彼女がしかるべき評価を受けられるよう応援し続けた。 そのような環境の中、彼女はピアノをハイドンに、声楽をポルポラに(その伴奏はハイドンが務めた)、そして作曲(特に対位法)をモーツァルトも心服していた宮廷作曲家ボンノに師事してめきめきと頭角を現す。マリア・テレジア帝にも気に入られ、美しいソプラノと鍵盤楽器演奏で何度も御前演奏をした。 16歳から24歳までの間、彼女は特に教会音楽に興味を傾けている。ミサ4曲、モテット6曲、リターニア3曲、合唱とオーケストラのためのレジーナ・チェリなど現存するほとんどの典礼音楽がこの時期に書かれている。 中でも17歳で作曲したミサ第3番ハ長調は聖ミヒャエラー教会で上演され絶賛された。29歳の時には一流音楽家の証であったボローニャのアカデミア・フィラルモニカへの入会資格(この資格を得ることはとてつもなく難しかった)を得ており、このことからも彼女がいかに高く評価されていたか窺い知ることができる(ちなみにモーツァルトはこの資格を特別に14歳で得ている)。 室内カンタータ7曲、多くのイタリア・アリア、大成功したオラトリオ《イサッコ》など、彼女の作品は声楽を含むものが中心となっている。 鍵盤作品では31曲の鍵盤楽器のためのソナタを書いたとされるが、うち現存するものはホ長調、イ長調、ト長調の3曲。他に鍵盤楽器のための協奏曲4曲がある。 後年は毎週自宅で音楽の夜会を開いており、モーツァルトもその常連だった。K497やK521の4手のためのソナタはよく二人が共演して楽しんだようである。生涯独身を通し、晩年は女子のための歌唱学校を開設して優れた歌い手を養成した。

    執筆者: 宮崎 貴子
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