ランドフスカ 1879-1959 Landowska, Wanda
解説:PWM Edition(翻訳:平岩 理恵) (1189文字)
更新日:2022年9月30日
解説:PWM Edition(翻訳:平岩 理恵) (1189文字)
ヴァンダ・ランドフスカ Wanda Landowska
(1879年ワルシャワ[ポーランド]~1959年レイクヴィル[米国])
ヴァンダ・ランドフスカはポーランドのピアニスト、作曲家、20世紀においてチェンバロの復活・普及に最も貢献した人物。1879年、ワルシャワに生まれ、幼少の頃からピアノのレッスンを受ける。その後ワルシャワ音楽院でピアノをアレクサンデル・ミハウォフスキに師事した。1891年に音楽院を修了すると、ベルリンに渡り、イグナツィ・ヤン・パデレフスキらを教えたことで知られるヘンリク・ウルバンに作曲を学んだ。1900年にパリに移ると、同地で古楽、とりわけヨハン・ゼバスティアン・バッハの作品に興味を抱くようになった。デビュー当初こそピアノを弾いていたランドフスカだが、ほどなくチェンバロがメインの演奏楽器となった。その後長年にわたり、フランスの優れた音楽家や音楽学者らと共同で、古楽奏法の秘技を探求し続けた。
ルネサンスやバロック時代のチェンバロ音楽の研究に専念した彼女は、ついにピアノメーカー、プレイエル社と提携するに至る。1912年、ヴロツワフで開催されたJ.S.バッハ音楽祭で、ランドフスカは、自身の指南に基づきプレイエル社が製作したチェンバロを自ら演奏し、お披露目をした。プレイエル社はその後間もなく、このモデルのチェンバロの特許を取得し、継続的に生産を開始した。
1913年、ヴァンダ・ランドフスカはベルリン高等音楽院で教鞭をとり、世界初のチェンバロクラスを開講。1920年代にはアメリカやヨーロッパで数多くのコンサートを開催した。1925年、パリ郊外のサン=ルー=ラ=フォレに居を構えた。ランドフスカは、古楽学校(L'École de Musique Ancienne)の創立者でもある。彼女はこの音楽センターで演奏や講演を行ったほか、楽譜や古楽器の蒐集にもあたった。
ランドフスカは、1934年、世界で初めてJ. S. バッハの《ゴールドベルク変奏曲》を全曲演奏している。彼女は常に、ドメニコ・スカルラッティ、フランソワ・クープラン、G. F. ヘンデル、フィリップ・ラモーの作品をレパートリーとしていた。
第二次世界大戦勃発後、ランドフスカはパリを去らねばならなくなった。1941年、米国に移住。ニューヨークで数年暮らした後、レイクヴィルに居を移し、同地で長年にわたってレッスンを行った。
彼女のチェンバロ演奏の録音は、1959年と1961年の2度にわたりグラミー賞にノミネートされている(第1回と第3回)。
ヴァンダ・ランドフスカは1959年、レイクヴィルで亡くなった。
<作品>
管弦楽曲《ヘブライの詩》
弦楽器のための《セレナード》
ピアノおよびチェンバロのための作品群(作品番号なし)
モーツァルトやハイドンのピアノ協奏曲用のカデンツァ各種
民謡の編曲やアレンジ