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髙田 三郎 1913-2000 Takata, Saburo

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  • 解説:仲辻 真帆 (1161文字)

  • 更新日:2018年4月20日
  • 作曲家、指揮者として特に合唱領域で活躍した髙田三郎。器楽曲の他、典礼聖歌の作曲も多 く手がけた。

    1913(大正2)年12月18日に名古屋で生まれた髙田三郎は、音楽が身近にある環境に身を置いて育った。当時珍しかった蓄音機が自宅に あり、レコードを聴く機会に恵まれた他、父は 宝生流の謡曲を嗜み、母は生田流の箏曲を日々練習していた。尺八を弾く長兄、民謡や琵琶を愛好する友人たちと共に小学生時代を送る。中学生になると、兄妹が習い始めたピアノを、自身も演奏するようになった。また、自宅の近くには教会があり、 早くから讃美歌にも親しんだ。

    1932年、武蔵野音楽学校(現在の武蔵野音楽大学)師範科に入学。呉泰次郎から和声の手ほどきを受ける。続いて東京音楽学校本科作曲部 (現在の東京藝術大学音楽学部作曲科)で信時潔やK. プリングスハイムに師事し、1939年に同校を 卒業した。卒業作品の《八重奏曲》には、I. ストラヴィンスキーの影響が色濃く反映されてい る。東京音楽学校の研究科に進学した髙田は、 《山形民謡によるファンタジーと二重フーガ》 (のち《山形民謡によるバラード》に改題)を完成させ、 1941年に研究科を修了した。引き続きH. フェ ルマーやJ. ローゼンシュトックのもとで作曲や指揮法を学ぶが、空襲の激化に伴い長野へ転居。この間に《ピアノのための前奏曲集》を着想する。

    太平洋戦争後に東京へ戻り、1946年からは武蔵野音楽学校で、1953年からは国立音楽大学で後進の指導にあたった。1948年、平尾貴四男、安部幸明、貴島清彦らと作曲家グループ 「地人会」を結成し、1955年までの同会での活動のなかで、《ヴァイオリンとピアノのための奏鳴曲》などを発表していく。1960年代以後は、NHKからの委嘱を受けて合唱作品を多く作曲するようになった。《わたしの願い》(1961 年)で高野喜久雄と初めて共作し、以後コンビを組んで作られた数々の名曲は、現在でも合唱団でレパートリーとして愛唱されている。とりわけ《水のいのち》は1964年に初演されて以来、様々な編成で歌い継がれてきた。宮沢賢治の詩によるカンタータ《無声慟哭》(1964年)や、 吉野弘の詩による混声合唱曲《心の四季》(1967 年)も力作で、初演時より聴衆へ感銘を与え続けている。1969年には《橋上の人》で芸術祭大賞を受賞。

    カトリック信者として典礼聖歌も200曲以上作曲し、1992年にはローマ教皇ヨハネ・パウロ2世より聖シルベストロ騎士団長勲章を授与された。2000(平成12)年10月22日、帰天。 著書に『くいなは飛ばずに』(音楽之友社、1988 年)、『来し方』 (音楽之友社、1996年)、『ひたすらないのち』 (カワイ出版、2001年)などがある。

    執筆者: 仲辻 真帆
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    解説 : 須藤 英子 (234文字)

    更新日:2006年8月1日
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    About composer : 仲辻 真帆 (3681文字)

    更新日:2018年4月20日
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    作品(8)

    ピアノ独奏曲 (4)

    ソナタ (2)

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    バラード (1)

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    前奏曲 (2)

    前奏曲 前奏曲

    作曲年:1943 

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    種々の作品 (1)

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    歌とピアノ (1)

    曲集・小品集 (1)

    ひとりの対話 ひとりの対話

    総演奏時間:13分00秒 

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