ホーム > シャド

シャド 1812-1879 Schad, Joseph

  • 解説:上田 泰史  (1460文字)

  • 更新日:2018年3月12日
  • 【1812.3.6シュタイナハ生~1879.7.4 ボルドー没】  ドイツ出身のピアの奏者、作曲家。バイエルン王国の北部(現在のチューリンゲン州南部)シュタイナハに生まれ、この町の南東に位置するヴュルツブルクの音楽理論家ヨーゼフ・フレーリヒ(1780~1862)に師事。フレーリヒは、19世紀初期に同地で音楽学校を立ち上げた人物で同地の音楽界の重鎮。シャドは次いで、フェルナンド・ヒラーを指導したアロイス・シュミット(1788~1866)に師事。バイエルン王国出身のシュミットは、1816年からフランクフルトに住んでいたが、その後、ベルリンに一時居を構え、25年から29年まで、ハノーファーで宮廷ピアニストとしての生活を送っていた。シャドがシュミットの指導を受けたのは、おそらくヴルツブルクに近い、フランクフルトにおいてだったと考えられる。学習時代を経て、シャドはライン地方、スイスを旅行、才能を高く評価されたシャドは、36年11月から39年8月まで、ジュネーヴ音楽院のピアノ教授を務めた。42年から45年にかけて、シャドはパリのエラール社のホールで毎年のように演奏会を開き、自作品を演奏し、音楽雑誌を賑わせた(この間、彼はバイエルン王国にも旅行に行っている。)45年7月27日に発行された音楽新聞『ルヴュ・エ・ガゼット・ミュジカル』は、シャドがボルドーに向けて出発したことを報じている。以後、シャドはボルドーを本拠地として生涯活動した。シャドの声望はボルドーでも高く、貴族など、裕福な愛好家にピアノを教えた。ボルドーでは、1864年にバレエ作品《フラニツィア Franizia》も上演されたとされる。同地にて67歳で没。  出版された作品は、若干の歌曲を除けば全てピアノ曲で、作品番号にして95番までが確認されている。《3つのノクターン》作品5はショパンに、《独奏ピアノのための協奏曲》作品62(1860刊、一楽章構成)はリストに献呈されている。 <参考文献> Rémy Campos, Instituer la musique : les premières années du Conservatoire de musique de Genève (1835-1859), Genève , Université : Conservatoire de musique, 2003, 877 p. François-Joseph Fétis, « Schad (Joseph) », Biographie universelle des musiciens et bibliographie générale de la musique, Supplément et complément, M. Arthur Pougin (dir.), vol. 2, Paris, Firmin-Didot, 1880, p. 492-493. Anonyme, « Concert, nouvelles diveres », Revue et gazette musicale de Paris, 12e année, n° 30, 27 juillet, 1845, p. 216 Anonyme, « Concert, nouvelles diveres », Revue et gazette musicale de Paris, 43e année, n° 46, 13 juillet, 1876, p. 231.

    執筆者: 上田 泰史 
    <続きを表示する>

    作品(3)