プレーガー 1815-1891 Praeger, Ferdinand (Christian Wilhelm)
解説:上田 泰史 (641文字)
更新日:2018年3月12日
解説:上田 泰史 (641文字)
ライプツィヒに生まれ、イギリスで活躍したドイツ人ヴィルトゥオーゾ・著述家。フェルディナント・プレーガーの父はヴァイオリニスト兼作曲家で、1818年から10年間、ライプツィヒでオペラ座の監督を務めた人物で、後にハノーファーで宮廷楽長になる音楽家だった。息子フェルディナントは音楽的環境の中で、初めはチェロを演奏したが、ヴァイマルでフンメルにピアノの指導を受けピアニストになる決意を固めた。オランダのハーグでピアノ教師をしたのち、ロンドンに渡りこの街を生涯の活動の場とした。 ワーグナーへの賞賛を惜しまなかったプレーガーは、1855年にワーグナーがロンドンに招かれた際、ロンドン・フィルハーモニック協会のコンサートでワーグナー作品を指揮した。ワーグナーとの親交をもったプレーガーは後に『我が知己ワーグナー』(Wagner as I knew him)(1885)という著作を発表するが、後に、引用する手紙などの捏造が発覚し研究者から非難を浴びた。しかし、ワーグナーに対するプレーガー個人の印象を綴った回想録として、今日ではその資料的な価値が再評価されている。 プレーガーの創作の全体像はまだ把握されていないが、作品番号なしで出版された作品が100点以上は存在し、多くの演奏会用の作品が含まれる。その作風はフランスのマスネ(1842~1919)やディエメール(1843~1919)といった次世代の音楽家の都会的でモダンなセンスを先取りするものである 1891年、ロンドンにて没する。