ホーム > パチョルキェーヴィチ

パチョルキェーヴィチ 1916-1998 Paciorkiewicz, Tadeusz

title
  • 解説:PWM Edition(翻訳:平岩 理恵) (891文字)

  • 更新日:2022年9月20日
  • タデウシュ・パチョルキェーヴィチ  Tadeusz Paciorkiewicz

    1916年シェルピェツ[ポーランド]~1998年ワルシャワ[ポーランド])

     

    タデウシュ・パチョルキェーヴィチは、ポーランドの作曲家、オルガニスト、教育者。ワルシャワ音楽院でブロニスワフ・ルトコフスキに師事しオルガンを学び、1943年に修了した。また1941年からはワルシャワでカジミェシュ・シコルスキのクラスで作曲を学び始め、1951年に国立ウッチ音楽高等学校で同クラスを卒業している。占領下の時代はワルシャワとナシェルスクでオルガン奏者や音楽教師として生計を立てた。

    1945年、プウォツクに移ったパチョルキェーヴィチは、同地で初等・中等音楽学校を設立、1949年まで校長と教師を務めた。これらの学校は瞬く間にプウォツクのみならず周辺地域の音楽生活の中心的存在となった。教育活動の一環として合唱団を組織したり、アマチュア合唱団の指揮者の養成を行ったほか、演劇部門も設けられた。パチョルキェーヴィチは1947年、コンサートピアニストとしてデビューし、ポーランド・ラジオのために録音を行うなどした。

    1949年、家族とともにウッチに移り住むと、以降59年まで同地の国立音楽高等学校で教鞭を執り、和声、対位法などの理論科目を教えた。1959年、一家は最終的にワルシャワに居を定め、パチョルキェーヴィチはワルシャワ国立音楽高等学校(後にワルシャワ音楽院に改称)で教鞭を執った。1966年に助教授の称号を得たほか、1963年から69年まで作曲・理論・指揮科の学部長、69年から71年まで音楽院院長を歴任。1986年に定年を迎え音楽院での職務を終えた。

    タデウシュ・パチョルキェーヴィチは生涯で多くの表彰・受章を受けており、代表的なものに文化功労賞およびポーランド復興勲章コマンドルスキ十字章がある。彼が作曲を手がけた作品のジャンルは幅広く、バレエやオペラといった舞台作品やカンタータ、オラトリオ、また交響曲、合唱曲、室内楽曲、独奏・独唱曲におよび、さらには吹奏楽作品や演劇のための舞台音楽、映画音楽まで多岐にわたる。

    <続きを表示する>
    ※ 表記揺れの例 パチョルキェヴィチ

    作品(1)

    ピアノ合奏曲 (1)

    ★ 種々の作品 ★ (1)

    おもちゃの兵隊 おもちゃの兵隊

    総演奏時間:1分05秒 

    動画0

    解説0

    編曲0