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スィギェティンスキ Sygietyński, Tadeusz

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  • 解説:PWM Edition(翻訳:平岩 理恵) (903文字)

  • 更新日:2022年9月20日
  • タデウシュ・スィギェティンスキ  Tadeusz Sygietyński

    1896年ワルシャワ[ポーランド]~1955年ワルシャワ[ポーランド])

    タデウシュ・スィギェティンスキは、ポーランドの作曲家、指揮者、教育者。ポーランドで最も有名な舞踊団である国立民族歌謡舞踊団「マゾフシェ」の創設者。

    スィギェティンスキはルヴフ(現ウクライナのリヴィウ)のガリツィア音楽協会付属の音楽学校で音楽理論と作曲を学んだ。若くしてルヴフ歌劇場で合唱団のコレペティートルを務めてもいる。1911年、生まれ故郷のワルシャワに戻り、音楽専門学校(後のワルシャワ音楽院)で勉強を続け、ヘンリク・メルツェル、ズィグムント・ノスコフスキらに師事。さらにウィーンとライプツィヒでもマックス・レーガー、フーゴー・リーマン、アーノルド・シェーンベルクらのもとで研鑽を積んだ。1913年、彼の作曲した《ユゼフ・ポニャトフスキ公没後100周年記念カンタータ》が初めて公の場で演奏されている。

    タデウシュ・スィギェティンスキは、ヨーロッパ中の多くの国で声楽団体の指揮者として活躍した。ドゥブロヴニク(現クロアチア)のフィルハーモニーの創設者でもある。1926年ワルシャワに戻ると、ポーランド・ラジオでの職を得て、ラジオドラマや音楽劇の制作・演出などに携わった。

    第二次世界大戦中、スィギェティンスキは歌手だった妻のピアノ伴奏者を務めて過ごした。占領下の時代、彼は自分の最大の夢であった民族舞踊団の創設に取り組み始める。準備期間は何年にもおよび、ポーランドの村々を数知れず訪問した末、1948年に舞踊団「マゾフシェ」を立ち上げたのである。スィギェティンスキはこの舞踊団のために民謡や民俗舞踊の特徴をもつ何十曲もの歌や舞曲を書きおろし、またポーランドで誰もが知る民謡の編曲なども手がけた。

    創設者の存命中、国立民族歌謡舞踊団「マゾフシェ」は、ソ連、東ドイツ、チェコスロヴァキアをはじめ、中欧・西欧の各国で盛んに公演活動を行った。タデウシュ・スィギェティンスキは1955年にこの世を去ったが、その後も「マゾフシェ」は絶えることなく世界中の舞台に立ち続けている。

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