ストルペ 1851-1872 Stolpe, Antoni
解説:PWM Edition(翻訳:平岩 理恵) (660文字)
更新日:2022年9月20日
解説:PWM Edition(翻訳:平岩 理恵) (660文字)
アントニ・ストルペ Antoni Stolpe
(1851年プワーヴィ[ポーランド]~1872年メラーノ[イタリア])
アントニ・ストルペはポーランドのピアニスト、作曲家。伝統的な音楽一家に生まれ、父
エドヴァルトに音楽の手ほどきを受けた。その後、ワルシャワの音楽専門学校(後のショパ
ン音楽大学)でカロル・フレイエルやスタニスワフ・モニューシュコなどのもとで学んだ
。1867年にはピアノクラスで「大賞」を、また対位法で「一等賞」を受賞している。
ザジツキのデビューは1867年7月17日、市民クラブで開催された学生たちの受賞者コンサ
ートで、ショパンの《練習曲》から一曲と自作の《マズルカ ロ短調》を演奏した。また留
学資金を集める目的で、ホッフェルのピアノ製作所と市民クラブのホールで自作曲を披露す
る演奏会を3回開催し、作曲家・指揮者・ピアニストという3つの才能を披露した。1869
年6月ベルリンに渡り、フリードリヒ・キール、テオドール・クラクに師事するも、わずか
半年後には、ピアノのクラスを受け持つよう提案されている。
ストルペの音楽家としてのキャリアは病気で絶たれた。ある晩開催されたヴァーグナー作
品の演奏会の帰りに引いた風邪がもとで結核を患い、肺炎の合併症により21歳の若さでこ
の世を去った。
アントニ・ストルペは、フリデリク・ショパン以降のポーランドにおける最も優れた作曲
家、ピアニストの一人とみなされている。彼は、規模や編成の異なる様々な作品を数十曲書
いたが、それら優れた作品群は20世紀末に至るまで忘れ去られたままだった。