この組曲が完成した1908年、波乱万丈の末エンマとの結婚も成立し、同年の12月18日(23日とする資料もある)には、イギリスのピアニスト、ハロルド・バウアー(1873~1951)によって「子供の領分」の初演が行われた。バウアーの回想録『彼の書His book』(New York : W. W. Norton, 1948)によれば、ドビュッシーは初演の時、不安のあまり客席にはいないで、ホールの外を行ったり来たりしていたという。そして、終演後会いに来たバウアーに「どうだったか?」と尋ね、バウアーが「みんな笑っていたよ。」と答えところ、ようやく安心して、感謝の意を述べたとのことである。