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エヴェルス 1819-1875 Evers, Carl

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  • 解説:上田 泰史  (1701文字)

  • 更新日:2018年3月12日
  • 【1819.4.8 ハンブルク生~1875.12.31 ウィーン没】  ドイツのピアノ奏者、作曲家。ハンブルクに生まれたエヴェルスは、6歳のとき、ヤーコプ・シュミットJakob Schmitt(1803~1853)の下でピアノを始めた。師は、フランクフルトの著名なピアノ教師、アロイス・シュミットの弟である。12歳までに、地元ハンブルクで演奏会を開くほどに上達し、やがて周辺各国の都市で演奏を行うようになった(ホルシュタイン公国、シュレースヴィヒ公国[いずれも現在ドイツ領]、コペンハーゲン、ストックホルム)。1834年から翌年にかけての旅行では、再びデンマーク、ウェーデン、そしてロシアのサンクトペテルブルクまで足を伸ばした。1837年の旅行で訪れたハノーファーで、エヴェルスは、1830年から同地で宮廷楽長を務めていたハインリヒ・アウグスト・マルシュナー(1795~1861)から和声を、ツィーガーZieger(生没年不詳)からオルガンを学び、次いで、27年からハンブルク劇場で指揮者を務めていたカール・アウグスト・クレプスCarl August Krebs(1804~1880)に作曲を師事。38年にライプツィヒを訪れ、メンデルスゾーンと親交を持ち、助言を受けた。41年、パリに滞在(フェティスによれば39年)、ショパン、オベールから歓迎された。同年に訪れたというウィーンで名声を博した。彼は翌年にもパリを訪れ、演奏会に参加している(2月27日の演奏会では、「メンデルスゾーンのスケルツォ」(告知では「前奏曲」)と彼の自作「オクターヴの練習曲」(恐らく作品8)を「想像を絶する速さで」演奏したという。パリには1845年にも訪れ、演奏会を開いている)。彼はその後、58年にグラーツに居を定め、音楽商を営んだ。彼は79年にウィーンで没したが、それまでの活動は不詳。  エヴェルスは、同世代の多くのヴィルトゥオーソとは異なり、オペラの主題に基づく幻想曲には全く関心を示さず、独創作品が大半を占める。しかも、その多くは大規模でシリアスな様式で書かれている。ピアノ独奏用のソナタが5作、連弾用のソナタが2作のほか、性格的作品(12曲から成る《うららかな日々と嵐の日々》作品24など)、幻想曲、舞曲(マズルカ、タランテラ、ポルカ)、室内楽(弦楽四重奏2作、ヴァイオリン・ソナタ1作)、歌曲のジャンルを手がけ、作品番号にして107番までが確認されている。 <参考文献> Henri Blanchard, Annonce de concert, Revue et gazette musicale de Paris, 9e année, n° 10, 6 mars, 1842, p. 94-96 François-Joseph Fétis, « EVERS (Charles) », Biographie universelle des musiciens et bibliographie générale de la musique, vol. 3, Paris, Firmin-Didot, 1878, p. 165. C. G., « Carl Evers und seine neueren Compositionen », Allgemeine musikalische Zeitung, No 3, Januar 1845, p. 42-43. Ernest Pauer, A Dictionary of Pianists and Composers for the Pianoforte:With an Appendix of Manufactuers of the Instrument, London, New York, Novello, Ewer and Co., 1895. Anonyme, Annonce de concert, Revue et gazette musicale de Paris, 9e année, n° 9, 27 juillet, 1842, p. 73

    執筆者: 上田 泰史 
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    作品(1)

    ピアノ独奏曲 (1)

    種々の作品 (1)

    祈り Op.16 祈り

    総演奏時間:10分10秒 

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